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新潟医療福祉大学  作業療法学科 

【作業療法士 心に残るあの場面】ひきこもりがちな生活から福祉的な就労につながったこころの作業療法支援

  • 執筆者の写真: OT NUHW
    OT NUHW
  • 2024年11月1日
  • 読了時間: 1分

元々人付き合いが苦手で、仕事の業務量が増えたことで社会への恐怖感が強まっていった30代のAさん。次第に会社に行くことや外に出ることへの不安が強まり、最終的に退職し、家に引きこもるようになってしまいました。そんな中、家族の勧めで受診に至り、ある日、Aさんは不安への対処を学びたいと主治医に相談し、作業療法が始まりました。

作業療法では、Aさんと一緒に自身の特徴や不安について学び、過剰な不安と向き合うための工夫を取り入れていきました。次第に外出範囲が広がり、Aさんは作業療法士と共にデイケアに挑戦しました。初めは緊張していたAさんも、様々な人と接する中で次第にその場にいることができるようになり、人付き合いの練習も始めました。

そんな日々の中、同じデイケアに通う利用者が就労していく姿を見て、Aさんも仕事への関心を抱くようになりました。デイケアの中で就労支援を受け、ついに福祉的な就労を果たしました。初めてのお給料を手にしたAさんは、これまでの道のりを振り返り、「仕事を始められて良かった」「社会参加できた実感が持てた」と感慨深げに話しました。Aさんの変化は、家族や周囲の人々にとっても大きな喜びとなりました。

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